第二の法則 言い訳が百ほどある



「アリバイが証明できない」という現実に直面したとする。
 その場合、「していないことを立証する」のはとても大変な作業だ。
「したことを立証する」ためには証拠を探せばいい。

 けど、していない立証のための何を探せばいいのか?
 アリバイは無い。
「真犯人 !? 」
 ソイツが「したことが立証されない」ようにあらかじめ証拠隠滅したのだ。
 おかげで疑われてるんだ。
 貴方は疑われている。
「していないことを立証する」ことほど困難なことは無い。
「いったい何を証明すれば?」
「どんな証拠を探せば?」
「していないことが立証できるのか?」
というのがそもそも分からない。
「何を言い訳すればいいのか ?」
「どなん言い訳をすればいいのか?」
 凡人にとってこれほど難しいことはないんじゃないかな?
 世の中に冤罪が生まれる所以だぞ。

 その点詐欺師は
「していないことを立証する」
ことには長けてるぜ。

「人間は一人では生きられない」という生き物なのである。
 人と係わらずに生きてゆきたいと望んだところで、自分の周りにはごまんと人が存在してるから、当然といえば当然だ。
 衣食住なくしては喰いっぱぐれるから、致し方ないといえば致し方ない。
 幸せを求める者は、
「何事でも人々からして欲しいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」
という聖書マタイによる福音書第七章十二節の文言に従って、自分以外のものを守り、大切する必要がある。

 ところが詐欺師たるもの、幸せなど求めていない。
 すべては金のために生きている。
 当然、自分以外のものを切り捨てるのは簡単だ。
 正体を見破った奴を陥れたり、悪党だとでっちあげたりする。
 己だけを守ろうとする。
 詐欺師たるもの守るべきは己でしかない。

「していないことを立証する」
ことにさえもともと長けている詐欺師が守るべき己の為に他人を切り捨てることなど簡単だぁ。

「証拠隠滅はしない状態で、証拠を探して、したことを立証する」
なんて素人でもできる話だろ?
 週刊誌の「七つのエラー」みたいなものだ。
 AとB、左右に同じ絵があって、ところがよくよく見てみると七箇所違うところがある。
 (Aのおじさんには毛が三本)(Bのおじさんは毛が一本)なんていう、ちょっと見では分からないんだけど、

探せば見つかる、あれですね、あれ。
 目ざとい奴ならすぐ分かる。
 多少ドンくさくても、じっくり時間をかければちゃーんと答えは見つかる。
 当たり前といえばあたりまえだろ。
 目の前にAとBの絵が置いてあるんだぜ。
 それでもって、ちゃんと七箇所違った絵が描いてあるんだ。
 詐欺師はその絵を自分が描くんだぞ。
 描こうとしてる本人なんだから、「答え」をいともたやすく導くことができるんだ。

「証拠隠滅はしない状態で、したことを立証する」のと同様のレベルで、
「したことが立証されない」ように
「していないことを立証する」

のが詐欺師なんだ。

 つまり、

「いったい何を証明すれば、どんな証拠を探せば、していないことが立証できるのか?」
というのをもともと知ってるんだぜ。
「何を言い訳すればいいのか?」
「どなん言い訳をすればいいのか?」
 弁舌巧みな詐欺師としちゃー、たやすいことだ。
 ケースバイケースで、アリバイをでっちあげたり、人を切り捨てたりして、
「言い訳を百ほど並べる」

ことができる。

 決して、
「したことを立証する」
などというドジは踏まない。
 たとえつかまったとしても…。 

 詐欺師第二の法則  <言い訳が百ほどある>
『バレたら困るじゃん…』
と横浜弁の詐欺師なんだな。
 ビクビク生きながら詐欺師は
「していない」
という言い訳なら百ほど並べることができる。
 言い訳ついでに他人を陥れることなと日常茶飯事だぜ。