第五の法則 カリスマ性がある 
        「インドのサイババは祈って、何にもない手のひらに金の指輪を出すらしい」 なんて話に、 「ホンマでっせ」 と大阪弁のオッサンがツバ飛ばして力んだ。 「インドのサイババは、猿も出せまんねん」 と大阪弁のオッサンが尚も力んだ。 「どうせ祈るなら、猿の惑星にでてくる猿を出して欲しいなぁ」 と意地悪な私に、 「…‥…‥」と大阪弁のオッサンは憮然! 「できれば金の指輪より見たこと無い存在しない鉱物とか出して欲しいなぁ」 「…‥…‥」と大阪弁のオッサンは憮然!  実際にあった話だ。 
        「人間は神の存在を否定できない」という生き物なのである。  自然という摩訶不思議な現象のなかで生活してるのだから当然といえば当然だ。  科学の進んだ現代でも、今だ解明しきれない人間の体という未知の領域で生きてるのだから致し方ないといえば致し方ない。  ならそんな美味しい話を詐欺師が見逃すはずがない。  当然その効力を利用できないだろうかと考えて、行き着く先は<カリスマ>だぁ〜。  詐欺師がボロクチの儲け口を見つけた。  早いとこ「濡れ手で粟」に浸りたい。  バブルバブルのアワアワお風呂で全身ゆったりリラックス、お肌スベスベ、現金ザクザク。 「うっしっし!!」 なんてニンマリしたい。  けどね、詐欺師たるもの悪党みたいに、 「ボロクチ・ルンルン♪」 「ボロクチ・ルン♪」 なんてなりふり構わず下品に飛びついたりできないでしょ!!  だいたい沽券にかかわる。 『どんな沽券やねん?』  プライドが許さない。 『なんのプライドやねん?』  なにより悪がばれるでしょ!  ばれたら困る。 『ごもっともごもっとも』 
        「そんな時詐欺師はどうするか?」 答え、 「隠れ蓑に良い事をする」  悪のカモフラージュには善がもっとも有効な手段なのだ。 「善=良いこと」  善行とも言う。  詐欺師にとって金儲けが本音で、良い行いは建前でしかない。  でも、建前だからって善を行わない訳じゃぁない。  ちゃんと善いこともするのです。  ほらあれね、建前の中にも現実は存在するでしょ ?  友人の結婚式に招待されたとする。  ぼくは同級生結婚で早々にいたして既に生活に疲れてる。  新郎の友人は三十過ぎまで独身で、趣味の「バイクだ」「スキーだ」「ゴルフだ」って自由を謳歌していた。  ところがソイツが、「彼女には不自由しない」  みたいなこと言ってたにも係わらず離婚暦のある八つも年上の女にひっかかった。  別に意地悪じゃないけど理屈じゃなくニンマリ!  で、式場について受付近くでウロウロしてた。  そしたらたまたま新郎に出くわした。 「いやぁー、おめでとう。年貢の納め時かぁ」 なんてニンマリを隠してさも目出度そうに建前で握手。 『ザマァミロ、八つ上で良かったよ。これで八つ下だったら堪らないもんなぁ…』 なんて本音は絶対口にしない。  ところが、「紹介するから」と連れて行かれた控え室で花嫁がニッコリ!  なんと、ビックリ!  すこぶる別嬪!  意地悪もニンマリも忘れて、「おいおい美人だなぁー」思わず感嘆呆然。 仕方ないから、「幸せになれよぉー」  なんてソイツをコソコソ肘でつついたりしてしまいません?  建前だか本音だか分かりにくい話で恐縮だ。  が、友人であるぼくは既に生活疲れている。  ゆえに 「幸せになれよぉー」というのは建前なんですね、やっぱし。  だけどほら、そこには美人だなぁーという現実も存在している。  同時に幸せになれよぉーという友達としての希望的観測現実もちゃんと存在してるのです。  イヤァー、なんだかごり押しみたいだが、真理とはもともと表だってわかりやすいものではないので致し方ない。  結局、詐欺師も一緒。  詐欺師の真理はあくまでも詐欺師であることなのだ。  真理を追求するうちに詐欺師は建前の中の現実に善を行う。  あくまでも本音をカモフラージュするもっとも有効な手段として。  おもしろい現象なんだけど、そこにも詐欺師比例の現象が働く。 
         ねらってる獲物が大きければ大きいほど、隠れ蓑になる良いことをする量も増える。  ハリウッド映画が興行収入を見込んで制作費が多額になる。  あるいは、莫大な制作費を投じるとスケールのでかい映画が生まれる。  あれと同じ理屈だ。 
         建前であれなんであれ、人間は良いことをすれば、善行の量に比例してある種の風格が生み出される。  その風格が厄介なんだなぁ。  詐欺師の風格だって風格であることには違いない。  善を行うことで信望が与えられる。  しかも本音はカモフラージュされてて表立っては分からない。  もともと弁舌は巧みだ。  頭が切れるから指導力にもたけている。  結果だけを整理してみよう。  風格がある。  信望がある。  悪には見えない。  雄弁である。  指導力がある。  あるあるづくしで「ない」は相殺されて、そこにはカリスマ性が生まれる。  詐欺師第五の法則  <詐欺師にはカリスマ性がある>  しかもスケールの大きい詐欺師ほどカリスマ性が強い。  『ばってん、バレたら困るばってん…』 と変な長崎弁の詐欺師なんだな。  ビクビクしながら生きてるわりには、厄介なんだよな  | 
      
